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進歩か退化か

分子模型パネルの製作で思ったこと

教育的配慮の減退と結果主義への傾倒

丸山秀一

1999.9.25     札幌たのしい授業サークル用 ミニレポート
9.26 Web page版

2000.9.2 追記

■ボクの姿勢の変化

 授業書《もしも原子がみえたなら》のあとには,「分子模型パネル」を生徒さんたちに作ってもらっています。これをずっと続けてきて5年目になるのですが,それに対するボクの姿勢が変化してきたことに気がつきました。

 はじめは,ボクは材料を準備するだけで「さあ,あとはみなさんでどうぞ」という感じでした。「生徒がいろいろと作業するのが当然,いや作業しなければならない」と思っていました。そして生徒さんたちは,かなりの時間をかけて立派なものを作っていきました。

 それがだんだんと変化してきたのです。まず,生徒さんたちが間違えないようにと原子ごとにスチロール球ひとつひとつにマジックでしるしをつけるようになり,さらに材料一式を生徒さん一人分ずつ分けて用意するようになりました。

 また,材料費の節約のためもあって半球のモデルを使っていたのが,スチロール球をまるごと使うようにもしました。半球のモデルだと,どうしても分子を作るときに高さがうまく合わず,きれいな仕上がりにするのが難しかったのですが,そういった手間がなくなったわけです。

 台紙についても,いままでは「厚紙に装飾紙を貼り付けて,箱のサイズにカットして,さらに印刷された台紙を貼り付ける」という作業を全部生徒さんたちにやってもらっていたのですが,これらの作業を全部ボクがやることにしました。こうすることで生徒さんが失敗することがなく,仕上がりも一定のものができるからです。

■大切なことはなにか

 思い起こせば,今までの生徒さんたちに作業をほとんどまかせる方法では,生徒さんたちの能力や意欲の違いによって,どうしても仕上がりに違いがでてきていました。

 作業は生徒さんたちにやらせなければならないものでしょうか。「生徒には苦労させなければならない」「自分のことは自分でさせなければならない」という「教育的配慮」からは,そうかもしれません。でも,このごろのボクは,そうは思えないのです。それよりももっと大切なものがあると思うのです。

 その「大切なもの」とは,「授業のたのしさ」です。生徒さんが作業を自分でやってたのしかったら,それはやったほうがよいのです。でも,たのしくないなら,それはやめたほうがよいのです。評価の基準を「たのしさ」に置くと,どうも「教育的配慮」とは合わなくなってきます。

 ものつくりには,「作る過程をたのしむ」というものもありますが,分子模型パネルは,やはり「結果としてできたものがどうであるか」というのも大切だと思います。たのしんで作っても,できたものが見劣りするものであったなら,ちょっとがっかりしてしまうでしょう。だから,みんなが「けっこういいのができた」と思えたほうがよいのです。これは「終わりよければ,すべてよし」の結果主義です。でも学校というところは,「心をこめて行動さえすれば,結果は問わない」という心情(動機)主義が多いような気がします。

 面倒な部分をボクが丁寧にやることにすると,パネルの仕上がりの差はほとんどなくなってしまいます。そのせいか,出来上がったパネルを,みなさんとてもうれしそうに持って帰ってくれました。生徒さんたちに持って帰ってもらえるような素敵な仕上がりのものを作りたいのです。そういう最低限のたのしさを保証することが何よりも大切な気がします。

■進歩か退化かはわからないけれど

 こんなわけで,今は生徒さんたちに塗ってもらっているスチロール球の色塗りも,そのうちボクがやるようになるかもしれません。うーん,それはやりすぎかなぁ・・・。

 果たしてボクは,進歩しているのか,退化しているのか。それは自分ではよくわかりません。ただ自分にも,生徒のみなさんにも,たのしんでもらえていることだけは,たしかだと。

■とうとう・・・

 昨年このレポートで予想したことが現実となってしまいました。今年はスチロール球の色塗りまで全部ボクがやりました。スプレーを買ってきて,全部色を塗りました。ますます立派になっていきます。生徒さんが「来年はもっとよくなるの」と聞いてきました。ボクは「いやあ,これが限界だよ」と答えておきましたが・・・。2000.9.2


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